さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
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さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
江戸時代後期の博徒で、天保の大飢饉で農民を救済した侠客として、浪曲や映画などの大衆演劇の題材となった国定忠治。 その忠治が大戸関所破りの罪で磔(はりつけ)にされ処刑された場所が、吾妻郡東吾妻町大戸にある。 大衆に愛され、文久元年(1861年)に処刑場所に地蔵尊が建てられ、傍らに一本のエドヒガンザクラを植樹したと伝えられる。 以来「忠治地蔵1本桜」と呼ばれ、草津街道を往来する人々を見守ってきた。
いわゆる任侠の世界を生きた国定忠治の終焉地。 殺人など罪名は数多ありましたが、最も重罪である大戸関所破りによりこの地で磔の刑に処せられました。 享年41。 大戸関所は、ここから草津街道を2キロ弱北上した大戸宿の入口にありました。 忠治地蔵には紅い傘衣が被せられ、足元に土瓶の地酒やカップ酒が奉献されていたのが印象的でした。
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