薬師桜

樹齢1200年の古桜

幹周8メートル、樹齢1200年のエドヒガンザクラで、県の天然記念物に指定されている銘桜である。伝承によれば、征夷大将軍・坂上田村麻呂が、西暦796年の奥州征伐の折に、将軍自ら手植えしたものであると伝わる。

薬師ザクラ

薬師桜について

撮影後記

 三顧の礼をつくしたサクラです。 「釜の越桜」から徒歩で数分の距離にあり、樹齢は1200年とされ、白鷹町では最も古いサクラになります。 ちなみに同じ白鷹町に限れば、「子守堂の桜」が樹齢1000年、「赤坂の薬師桜」が970年、そして「釜の越桜」は樹齢800年と続きます。
 撮影に関してですが、枝張りは往時の規模こそありませんが、樹幹は貫禄があり、樹勢回復施術を施していて樹勢は悪くなく、釜の越桜よりも撮影向きだと思います。 また、東側が開けていて、うまいことに日の出から朝陽が差しこみます。 太陽が低い位置で赤味を帯びている光線で撮るのがオススメです。
 なお、「薬師ザクラ」で県天然記念物に登録されていますが、「薬師桜」という記述が一般的なのでそれに倣いました。

概要・歴史

幹周8メートル、樹齢1200年(伝)の江戸彼岸桜。 白鷹町に現存する古桜の中で、最も風格のあるもののひとつである。 伝承によると、征夷大将軍・坂上田村麻呂が、征夷の戦いに人の世の哀れを感じ、夜な夜な笛を吹き続けた。 その調べに引き寄せられた美しい娘が、やがて将軍の子を宿した。 娘は、実は近くの沼に住む大蛇であり、月満ちて黄金の太刀を生むが、将軍は誤ってその黄金の太刀で大蛇を切り殺してしまった。 将軍は、その娘を哀れんで手植えしたのが、この薬師桜と伝わる。 ただ、薬師堂も薬師ザクラも現在のところ正確な由来がわかっていない。 西の方に「観音堂」の地名があり、現在、東高玉円福寺にある観音像は、その昔、観音堂の地にあったものといわれている。 薬師堂は、北に1キロほど離れた曹洞宗瑞竜院の御堂で、享徳2年(1453年)、領主伊達持宗が物外性応を開山に迎えて創建した。 サクラの所有者も瑞竜院である。 老衰が著しいが、精力の旺盛な頃は枝ぶりもよく、広い面積に枝を張り、見事なものであったという。 昭和30年、県の天然記念物に指定された。 見頃は、例年4月下旬頃。

住所: 山形県 白鷹町高玉薬師堂3663

更新履歴

2011年8月22日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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