さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
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さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
西置賜郡白鷹町の旧赤坂・深山街道入口の高台に立ち、古絵図には、この桜のところに一里塚の印が見られる。 樹幹が損傷しているのは、昭和初期の工場火災で類焼したためであるが、幹周6.1mは盛時の大桜を想像に難くなく、町の天然記念物に指定されている。 古来より農業暦とも密接で「種蒔き桜」として親しまれ、その昔、最上川の洪水の時、舟をつないだという伝説がある事から、別名「舟つなぎの桜」、また鮎貝薬師堂に近いことから「御薬師様の桜」とも呼ばれている。 平安時代の10世紀後期、下長井庄を支配していた藤原安親が、庄内に薬師堂等を建立し江戸彼岸桜を記念植樹したと伝わり、当地のサクラもそのひとつの名残と考えられている。 高玉にある「薬師ザクラ」とは、同時期に植えられたものとも考えられている。
宝暦年間(1751年~1763年)に著された「鮎貝古物語」によれば、薬師堂は栃窪海道赤坂の上に大木の桜あり。春は早く花咲きひとしお見事なり。薬師堂は当所第一の景所たり。」とあることから、少なくとも250年前には既に大木で、樹勢も良好であったことが伺えます。
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