さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
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さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
西置賜郡白鷹町鮎貝の高台に立つエドヒガンザクラで、町の天然記念物に指定されている。 幹周7メートルに及ぶ巨樹で、樹齢は1000年余りと伝わる。 桜の傍らには子守堂が建ち、この場所は鮎貝城の一角にあたる。 鮎貝本庄家三代義長(1721年~1745年)の子供は、いずれも早世で病弱の三女以津子姫のみが残った。 ある日、子守になりたいと城に訪ねてきた者を以津子姫の子守に雇ってからは、病弱だったことが嘘のように丈夫に育った。 義長公が、この子守に褒美を与えようと呼び寄せたところ、城内にあった大桜の根元に子守が履いていた草履だけが見つかり、忽然と姿を消してしまった。 人々は、この子守が地蔵に化身したのだろうと考え、この場所に籠守大明神を勧請し子守堂を建てた。 以来、家系の絶えることはなかったという。
赤坂の薬師ザクラや十二の桜と同じく、平安時代に鮎貝氏の祖である藤原安親が、仏教の力で領内を支配し、一堂を建立した際に記念植樹した古典桜のひとつなのでしょう。 下長井荘の荘官であった藤原安親は、藤原氏北家の山蔭流で、子孫は長井に土着して武士化し、横越郷に居住して横越氏を称し、応永三年(1396年)、横越から鮎貝に移って、ここに鮎貝城を築き鮎貝氏と称したといいます。 その鮎貝の本拠地にある大桜。 幹周りも最も太く、樹勢も良好で、白鷹の古典桜のなかの古典桜といえるのかもしれません。
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