さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
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さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
弘前桜まつりにはいったい何回行ったことか。
ギャラリーに掲載した桜の写真の数が物語っています。
それほど、ここの桜の見事さに魅了されてしまいました。
姫路城など、他にも城とさくらの名所はありますが、姫路城は城あっての桜、弘前城は桜あっての城というイメージです。
それから、露店の雰囲気も最高です。
今まで行った中では、文句なく日本一の桜の名所だと思います。
弘前さくらまつりは、弘前四大まつり(他は、弘前ねぷたまつり、弘前城菊と紅葉まつり、弘前城雪燈籠まつり)のひとつである。 来場者数が毎年200万人を超え、日本一の規模を誇る桜まつりである。 ソメイヨシノをはじめ、シダレザクラ、エドヒガンザクラなど約50種2,600本の桜が咲き誇るさまは圧巻である。 吉野桜は、成長が早いわりには寿命が80年程度と短いが、弘前城公園には樹齢100年を超えるソメイヨシノが300本以上ある。 春と夏に、枯れ枝や病気の徹底除去、肥料を与えるなどの独自の手入れで、樹が若返り、その影響で枝が葉の重みで下へ伸びる。 現在では濠の水面間際まで枝が伸び、どの樹も幹が太く花付きが非常によいのが、他の場所のソメイヨシノとの違いである。 りんご栽培からも培った、さくらの管理技術は日本一と多くの専門家から絶賛されている。 弘前城公園の桜は、1715年に、津軽藩士が京都から25本の苗木を持ち込み、城内に植えたのが始まりと伝えられる。 明治15年、荒れ果てた城内を見かねた旧藩士・菊池循衛が、にソメイヨシノ1,000本を植栽した。 しかし、一部の士族の迫害を受け、苗木が抜かれたり枝が折られたりした。 それも沈静化した明治30年に再び1,000本が植栽され、その後も市民の寄付などが続いた。 大正5年に始まった夜桜見物は大変な盛況で、それをうけ大正7年、今日の弘前さくらまつりの基礎となる「観桜会」が始まる。 太平洋戦争前後は、観桜会は中断されたが、昭和22ねんから再開され、昭和36年「弘前さくらまつり」と改め今日に至る。 また、園内の四の丸演芸場では様々な催し物があるほか、近隣の弘前市民会館では津軽三味線全国大会や津軽五大民謡大会などのイベントも開催される。
所在地: 青森県 弘前市
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