さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
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さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
西置賜郡白鷹町山口に立っているエドヒガンザクラの古木で、現在の桜樹は三代目にあたる。 この地に薬師如来信仰で十二神の木像を安置した十二神堂があったといい、幕末の山口村土地台帳には十ニ神の古字が見られる。 明治の廃仏毀釈で廃堂となり、現在は山際薬師如来堂の一隅に安置されている。 蚕桑村郷土誌によれば、平安時代の10世紀後期(解説版では1120年頃)、下長井庄を支配していた藤原安親が、庄内に薬師堂等を建立し江戸彼岸桜を記念植樹したと伝わり、当地のサクラもそのひとつの名残と考えられている。 二代目の桜樹は、昭和9年の大豪雪被害をうけ衰退し、今では三代目の傍らに朽ち果てた樹幹を残すのみである。 平成に入り「置賜桜回廊」が立ちあがると、十二の桜保存会も本格的に活を入れ始め、周辺に十二の桜公園が整備された。
山口奨学桜から程近い山際にあるサクラで、現在は三代目とのことです。
地元の人によれば、「12本のサクラが立ってるわけじゃないのね」というのが観光客のお決まりの台詞とか。
現地の解説版によれば、初代の十二の桜は、伊佐沢の久保桜、高玉の薬師桜などと同じ頃に植えられたものにされています。
置賜が全国有数の古典桜が多いのも、概要で説明している鮎貝氏の祖である藤原安親が、仏教の力で領内を支配し、一堂を建立した際に記念植樹したこととなっています。
征夷大将軍の坂上田村麻呂の伝説よりは、もっともらしいものです。
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