さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
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さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
福島市小倉寺拾石の大蔵寺には数多くのサクラが植樹され、4月も中旬を過ぎると一斉に咲き誇りきわめて華美である。 参道入口の石段脇に立っているシダレザクラは、樹齢300年の古木といわれる。 また上境内に植えられている老樹のシダレザクラは、「稚児桜」と称せられる名桜である。 文政四年(1821年)の大蔵寺縁起において、このサクラが既に老木であったという記述が見られる。 南北朝時代、鎌倉建長寺の自休蔵主和尚が当寺に逗留し、是非訪ねて来るようにと告げ帰ったという。 鎌倉の蔵主和尚を慕ていた稚児の白菊丸は、はるばると和尚のもとへ訪ねたのだが、逢うこと叶わず辞世の句を残し、江の島から身を投げ、「稚児が淵」といわれている。 あまりにも哀れということで、ここにサクラを植えて菩提を弔い、福島の西大平寺に稚児塚あり、現在史跡になっている。 扇面に辞世の句あり「白菊と信夫の里の人 間はば思い 江の島と答えあれ」 経塚山中腹にある宝城山大蔵寺は、臨済宗妙心寺派の寺院で、通称「小倉寺観音」として親しまれている古刹。 坂上田村麻呂が東北鎮護のため、行基作といわわれる千手観音を安置したのが起源とされ、本尊千手観音菩薩立像は、国の重要文化財に指定されている。
稚児白菊が江ノ島の稚児ヶ淵に身を投げた逸話はいくつかのバリエーションがあるようです。
鎌倉の方ですと、和尚自身が稚児に思いを募らせ、幾度となく便りを送っています。
そして、和尚も辞世の句「白菊の 花のなさけのふかき海に ともに入り江の島ぞうれしき」を残し、稚児の後を追って身を投げるのでした。
大蔵寺のトイレに貼ってあった、詠み人知らずの川柳「急ぐとも外に散らすな吉野山 桜の花も散れば見苦し」
これも、マツタケやらさまざまなバリエーションありますね。
エッ、なんのこと?
お後がよろしゅうようで。
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