さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
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さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
富士山の裾野にあるこの地は「仮宿」といわれ、建久四年(1193年)、源頼朝が富士の巻狩りで陣屋を設けた地と伝わる。 頼朝の本陣は中世以来の名家である井出家(現在の井出家の北東側)に置かれ、その井出家前で下馬して一本のヤマザクラに馬を繋いだことから、「狩宿の下馬桜」や「駒止めの桜」などと呼ばれるようになった。 大正11年当時、幹囲8.5メートル、枝張東西21.8メートル、南北16.2メートルに及んだといい、国の天然記念物に指定された。 当時指定された他地域の大桜(山梨の山高神代桜、福島の三春滝桜、埼玉の石戸蒲桜、岐阜の根尾谷淡墨桜)と並び称して、「日本五大桜」と讃えられた。 昭和27年には、国家的に価値が特に高いとして国の特別天然記念物に昇格されている。 しかしながら、高度成長期以降は度重なる台風等の被害も相俟って、往時の雄姿はしのばれない。
白糸の滝に程近い狩宿地区。 征夷大将軍たる権威を誇示するため行ったとされる「富士の巻狩り」で、富士の裾野を埋め尽くした御家人たちの宿場となったことから、「狩宿」という地名が付けられています。 サクラが見頃となったことだし、もう一日粘ろうかとも考えたのですが、井出家の前に桜まつりの機材が積まれており、「こりゃ、明日あれが設置されるのか」と思って取りやめました。 「日本人は美しいものに敏感ではあるが、醜いものについては鈍感である。」と東洋史研究科のエドウィン・ライシャワー博士も云った言葉ですが、茅葺きの古民家があったり、地元で周辺の田に菜の花を咲かせて景観づくりに努めていたりすることは、一体なんなのか。
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