力寿の桜

力寿姫物語

豊川市財賀町に立つ樹齢250年のヤマザクラ。平安時代、赤坂村の長者の美しき娘「力寿姫」と、三河守であった大江定基(寂照)との悲恋物語が伝わるサクラ。根元には、安永五年に安置された「力寿碑」が立っている。

力寿の桜

力寿の桜について

基本情報

呼称
力寿の桜(りきじゅのさくら)
別称
力寿姫の桜
樹種
山桜
樹齢
伝承250年 - 平成24年 力寿碑建立の安永年間から考慮。
見頃
例年4月上旬頃
夜桜
ライトアップなし
駐車場
専用駐車場なし - 付近に駐車スペースあり。
所在地
愛知県豊川市財賀町栃ノ木(海抜68m)

概要

豊川市財賀町に立つヤマザクラの古木。 平安時代、赤坂(三河赤坂宿)の長者の美しき娘「力寿姫」と、三河守 大江定基(寂照)との悲恋伝説が残るサクラである。 根元には、安永五年(1777年)、力寿姫の舌が埋められたと伝わる力寿山舌根寺(廃寺)を不朽に伝えんがために建立された「力寿碑」が立っている。 山桜はそのとき植えられたものとも考えられ、樹齢は250年ほどと思われる。 見頃は、周囲のソメイヨシノが散ってから満開を迎える。

撮影後記

 近くには説明版がありましたが、文語調で分かりずらいので、以下に掻い摘んで簡単にお話を。 平安時代、三河国赤坂の長福長者の美しき娘「力寿」が、三河守 大江定基に見初められました。 力寿姫との四年の楽しき日々が過ぎ、国司としての任期が終わりにさしかかる頃、力寿姫は病に臥せ亡くなってしまいました。 悲嘆した定基は、力寿姫の亡骸を抱いて臥してしまいました。 臥した七日目の夜、定基の念持仏であった文殊菩薩の霊告があり、力寿姫の腐った舌を抜き、陀羅尼山に登り、舌を埋め文殊楼を建て、力寿山舌根寺と号しました。 その後、定基は出家し、業成って寂照(円通大師)となり、宋に渡り杭州で没したといいます。 以上は「源平盛衰記」などによるもので、「今昔物語集」などでは京から連れて行った女となっていて、後者の方が正史と考えられているそうです。
 現在の財賀寺には、廃寺となった舌根寺の本尊 文殊菩薩像を安置する文殊楼があるそうで、3月最終日曜日には「知恵文殊祭り」が開かれるそうです。

更新履歴

2012年9月14日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年8月5日
登録カテゴリを中部から東海に移動しました。

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