さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
PHOTOGRAPH.PRO
スマホでも閲覧できるようになりました
さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
豊川市財賀町に立つヤマザクラの古木。 平安時代、赤坂(三河赤坂宿)の長者の美しき娘「力寿姫」と、三河守 大江定基(寂照)との悲恋伝説が残るサクラである。 根元には、安永五年(1777年)、力寿姫の舌が埋められたと伝わる力寿山舌根寺(廃寺)を不朽に伝えんがために建立された「力寿碑」が立っている。 山桜はそのとき植えられたものとも考えられ、樹齢は250年ほどと思われる。 見頃は、周囲のソメイヨシノが散ってから満開を迎える。
近くには説明版がありましたが、文語調で分かりずらいので、以下に掻い摘んで簡単にお話を。
平安時代、三河国赤坂の長福長者の美しき娘「力寿」が、三河守 大江定基に見初められました。
力寿姫との四年の楽しき日々が過ぎ、国司としての任期が終わりにさしかかる頃、力寿姫は病に臥せ亡くなってしまいました。
悲嘆した定基は、力寿姫の亡骸を抱いて臥してしまいました。
臥した七日目の夜、定基の念持仏であった文殊菩薩の霊告があり、力寿姫の腐った舌を抜き、陀羅尼山に登り、舌を埋め文殊楼を建て、力寿山舌根寺と号しました。
その後、定基は出家し、業成って寂照(円通大師)となり、宋に渡り杭州で没したといいます。
以上は「源平盛衰記」などによるもので、「今昔物語集」などでは京から連れて行った女となっていて、後者の方が正史と考えられているそうです。
現在の財賀寺には、廃寺となった舌根寺の本尊 文殊菩薩像を安置する文殊楼があるそうで、3月最終日曜日には「知恵文殊祭り」が開かれるそうです。
フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。