さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
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さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
熊野古道中辺路の田辺市中辺路町野中の継桜王子付近に、「秀衡桜」と呼ばれる一本のヤマザクラがある。 奥州の藤原秀衡夫妻が熊野参りをした際、滝尻の岩屋で出産し、ここ野中で子の無事を願い杖にしていた桜木を地面に突き挿したものが起源と伝わる。 天仁二年(1109年)の藤原宗定の日記(中右記)に、「道の左辺にある継桜の木は、本は檜で誠に希なものだ」と記されている。 江戸時代、紀州徳川家初代頼宣が継桜王子の社頭にヤマザクラを植え、「接桜」と呼ばれ名木となっていた。 明治22年の豪雨で倒木した為、現在地にその苗木を植えたものが幹周4.88m、主幹周3.0mの大木となり、「秀衡桜」として市の天然記念物に指定されていた。 しかしながら平成23年の台風で再び倒木し、現在はその根元から4代目が成長している。
別ページの「熊野那智大社の桜」紀行でも「秀衡桜」を紹介していますが、こちらは熊野古道沿いにある「秀衡桜」です。
平安時代の奥州藤原氏3代藤原秀衡が、ヒノキを台木として桜が成長していた様子を日記に記したことから、後世に秀衡伝説に結び付いたものとみられます。
場所が場所なだけに、この遅咲き1本の撮影のために東奔西走したものです。
江戸時代の地誌「紀南郷導記」に、継桜王子の正面にあった古木が枯れ、紀州徳川家の頼宣公の命により植え替えられたとあることから、江戸時代には既に伝説となっていた名桜と考えられます。
なお、現在のものは4代目と記載していますが、あくまで継桜王子の正面にあった古木を初代としているものであります。
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