さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
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さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
庄原市東城町森地区の湯谷に自立しているエドヒガンザクラで、「東城三本さくら」のひとつである。 根周6.0m、幹周5.06m、樹高25m、枝張24m(北方15m、東方10m、南方9m、西方12m)の広島県下第三位の巨桜で、県の天然記念物に指定されている。 下領家のエドヒガン(根周7.81m、幹周6.67m)、小奴可の要害桜(根周6.5m、幹周5.7m)には大きさでは劣るが、樹幹の空洞化はなく樹勢は極めて旺盛である。 地上1.5m付近で南支幹(幹周3.15m)と北支幹(幹周2.75m)に分かれ、南支幹はさらに1m上で、北支幹は3m上で再分岐している。 享保年間頃(1716年~1735年)、此の地に生を受けたものといわれる。 平成21年に地権者の川上清氏から譲り受け、八幡自治振興区で周辺整備をして保護管理している。 その際に文化三年銘(1806年)の石仏が発掘されている。
「東城三本桜」のひとつで、小奴可の要害桜とほぼ同時期に見頃となります。
「湯谷」の由来が調べられなかったのですが、「森」は古来森村に三本の古木(飯山頂上の欅、雲明家の榎、宮本家の欅)があり、所在が恰も森の文字のように、一つは山嶺、他は山麓の左右にあったためだそうです。
現地の桜保存会の方の解説板には、江戸時代の享保の頃、藩政史上最大の農民一揆が起こった時代に、この地に生を受けて現在まで逞しく生き続けてきたと書かれていました。
「八幡史年表」を見ると、此の地でも百姓一揆が起こり、森村野尻の小左衛門という者が強訴の発頭人として捕えられています。
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