さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
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さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
燕市の大河津分水路10kmにわたり桜が咲き誇り、「日本さくら名所100選」に選ばれているお花見名所。 大正11年、22年の歳月と延べ1千万人の人力により開削された世紀の治水事業「大河津分水路工事」の完成を記念して植えられたソメイヨシノ3,000本が、堤防沿いに延々と続いている。 毎年4月第3日曜日には、「分水おいらん道中」の観光客で大変に賑わう。 県内外の多数の応募者の中から選ばれた「信濃」「桜」「分水」「染井吉野太夫」のおいらんが、70名もの付き人を従えて、絢爛豪華な衣裳に身を包み、越後の一大花絵巻が繰り広げられることで知られる。 また、開花期間中には「分水桜まつり」が開催され、大河津分水の桜並木と分水駅前がライトアップされる。
遠く残雪の峰々が続き、自然を愛し子供を愛した良寛ゆかりの風景が広がっています。
御覧のように、ほぼ葉桜状態でしたので、撮影云々の話ではありませんでしたが。
大河津分水の説明を簡単にここで。
かつて、日本一長い川で知られる信濃川は、日本海沿岸の丘陵地帯によって日本海に流れ出ることができないため、沖積平野を蛇行して流れ、川の水面よりも低い越後平野に度重なる洪水をもたらしていました。
そのため先人たちは、信濃川の水を丘陵地帯に切通しを開削して日本海へ流そうとします。
江戸時代からのこの懇願は、技術上の問題などもあり、紆余曲折を経て、明治42年から大正11年にかけて大規模な開削が行われました。
延べ1千万人の人力により開削された世紀の大事業のおかげで、現在の米どころ新潟の礎を築いたのです。
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