さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
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さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
松山市の石手寺境内に植えられているシダレザクラの古木である。 伊予松山藩主・加藤嘉明嫡男の明成(会津藩第2代藩主)が、石手寺に花見に訪れて辞する折、この桜を振り返り、その美しさを嘆賞したことから、「見返りの桜」と称されている。 石手寺には、慶長11年(1606年)、加藤明成公が境内の花を折り取ることを禁じた文書が残されている。 真言宗豊山派石手寺は、四国八十八箇所霊場の第五十一番札所である。 寺伝によれば、神亀5年(728年)に草創され、聖武天皇の勅願所となり、天平元年(729年)、行基が薬師如来を自ら刻み本尊として安置して開基したと伝わる。 寛平4年(892年)、河野氏に生まれた子が石を握っていという衛門三郎再来伝説によって、「石手寺」と改号された。 本堂(重文)、仁王門(国宝)、三重塔(重文)等は、長宗我部元親による兵火を免れている鎌倉時代の建築。
道後温泉から近いため、染井吉野が満開とも相成って、観光客やお遍路さんが大勢いました。
ただ、国宝山門(二王門)の前を右に進み、つきあたりの庭の右方にひっそりと立っているため、この桜を気に留める方は少ないです。
寺に慶長11年の文章が残っていることから、代変わりしていなければ、樹齢は400年以上の古桜ということになります。
昭和38年に指定された時は、もっと大桜だったのかもしれません。
ただ、今ナナメって伸びている主幹は、新しい時代のものと思われます。
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