狩勝峠

日本八景

上川の南富良野町と十勝の新得町を結ぶ峠である。「狩勝」の名称は、根室本線の路線選定にあたった田辺朔郎工学博士が、旧石狩国・旧十勝国から一文字ずつ取って命名した。昭和2年に、日本八景に選出された。

狩勝峠

狩勝峠について

撮影後記

 "かりかちとうげ"と云います。 環境省のホームページにも掲載されていますが、日本八景(日本新八景)の平原部門に選ばれているそうです・・・・・ 一般からのハガキ投票による各部門の投票数10位までを候補地として、あとは文人と画家がその地を訪れ決定したそうです。 文人や画家が選定したので、おそらく客観的ではなく、その日の天候や気分によって左右されたのではないかと推測します。 まぁ、交通網も情報化も発達していない1927年選定なのでということでしょうか。
 それから、新得山スキー場脇のSL広場から旧新内駅を経て旧狩勝トンネルまで約17 kmは、旧狩勝線フットパスとして整備されているそうです。 沿道には、小笹川橋梁、新内駅跡、廃トンネルなど、旧根室本線の遺構が点在しています。 一時期、私もハマったことがありますが、廃線マニアの方は、北海道に来たついでに歩いてみたらいかがでしょうか。

概要・歴史

狩勝峠は、上川の南富良野町と十勝の新得町を結ぶ峠で、国道38号線が標高644mの鞍部を越えている。 富良野から十勝に抜ける「十勝街道」は、前松前藩制時代より知られていたという。 その経路の一部が狩勝峠である。 「狩勝」の名称は、根室本線の路線選定にあたった田辺朔郎工学博士の命名による。 日高山脈を鉄道が越えるのに最適なルート(旧狩勝トンネルルート)を見いだした際、旧石狩国(旧石狩国は石狩川流域の広範囲に及ぶ)・旧十勝国から一文字ずつ取って命名した。 また、これより南側の、現在の道道夕張新得線予定ルート付近には、1898年から1899年にかけて開削された「石狩道路(通称「旧狩勝峠」または「旧国道」)」があり、鉄道の開通以降は廃道同然となって現在に至る。 2007年にはこのルート付近を通る道東自動車道が開通している。 鉄道に関しては、かつての国鉄根室本線旧線ルートは、国道38号とほぼ同じであった。 峠直下の狩勝トンネルを十勝側に抜けると、眼下に雄大な十勝平野が一望できることから「日本三大車窓」の一つと謳われた。 昭和41年、勾配を緩和した新狩勝トンネルを経由する新線に切り替えられたため、現在は峠から南へ約4 kmを通っている。 狩勝峠越えの旧線の一部(新内駅-新得駅間)は、昭和54年頃まで、脱線事故や車両火災事故などの狩勝実験線として利用された。

所在地: 北海道 空知郡南富良野町・上川郡新得町

更新履歴

2010年11月6日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

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