神楽

上川離宮と皇室御料地

旭川市南部の地区で、内地からの入植者により開拓され、丘陵地が広がる。明治時代、皇室の離宮(上川離宮)を設置する計画があり、皇室御料地として編入された。現在でも御料地の名残は、駅名や地名に残っている。

旭川市神楽

旭川市神楽について

撮影後記

 住所が「~線」となる場所が多く、入植の歴史が垣間見れるエリアです。 また、美瑛の町域に楔のように打ち込んであるので、パッチワークの丘が広がり、旭川でもフォトジェニックな地区ですね。
 撮影に関しては、旭川空港の一部があるので、旅客機がすぐ真上を飛んでいきます。 まだ、飛行機と風景を絡めた写真がないので、今度機会があれば、挑戦してみたいと思っています。
 なお、このエリアにある撮影スポットの「就実の丘」は、別ページに掲載してあります。

概要・歴史

旭川市南部に位置し、逆V字形をしている地区である。 明治以降、全国から集まった入植者により開拓され、中小規模の農地が多く、稲作をはじめ畑作、酪農などの多様な農業が営まれ、起伏に富んだ丘陵地が広がる。 富山県から移住した獅子舞匠・佐竹清次郎氏らによって、聖和地区に伝承された神楽獅子舞をはじめ、入植者達のふるさとの伝統や風習が、今もなお受け継がれ、独特の文化が育まれてきた。 明治時代、上川神社敷地に皇室の離宮(上川離宮)を設置する閣議決定された歴史があり、神楽地区の美瑛川と忠別川に挟まれた台地が皇室御料地として編入された。(ロシアの南下政策に対抗するため、北京(ほっきょう)設置計画もあった。) 現在でも、御料地の名残は地名に見てとれる。(神楽、西御料駅、西瑞穂駅、千代ヶ岡駅、聖和、八千代ヶ岡などなど) しかし、道庁のある札幌の強い反対によって実現しなかった。 かつて、神楽村として辺渓朗、神楽町、神楽岡、千代ヶ岡、八千代ヶ岡、志比内の6字があった。 昭和18年、東神楽、志比内、と千代ヶ岡、八千代ヶ岡の一部が東神楽村(後の東神楽町)として分立した。 昭和43年、神楽町が旭川市に編入された。

所在地: 北海道 旭川市神楽・西神楽・西神楽南・神楽岡・ 旭神・緑が丘・西御料・新開など

更新履歴

2010年11月13日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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