樫内の駒止桜

悲恋伝説

宮古市田老の樫内地区に植生しているカスミザクラで、市天然記念物に指定されている。江戸後期、樫内村の遊女と江戸御用商人の若者との、この桜に纏わる悲恋伝説から、いつしか「駒止桜」と呼ばれるようになった。

樫内の駒止桜

樫内の駒止桜について

基本情報

呼称
樫内の駒止桜(かしないのこまどめざくら)
樹種
霞桜
樹齢
推定 続200年以上 - 現地解説板より推定。
指定
市天然記念物 - 昭和59年 旧田老町指定。
見頃
例年5月上旬頃
夜桜
ライトアップなし
駐車場
専用駐車場なし - 付近に駐車スペースあり。
所在地
岩手県宮古市田老樫内(標高120m)

概要

宮古市田老の樫内地区の山林に植生しているカスミザクラで、市の天然記念物に指定されている。 昭和36年に未曾有の災害をもたらした三陸フェーン大火で樹幹が焼失し、現在の桜樹は焼け残った根から生えた、ひこばえが成長したものといわれる。 樹下には三基の供養塔が並んでいる。 江戸時代後期、宮古の花街であった鍬ケ崎の遊郭高島屋に、樫内出身の「利世」という若く美しい遊女がいた。 いつしか三陸の俵物を仕入れにくる江戸御用商人の喜兵衛という若者と恋仲になり、末を誓い合い江戸へ戻っていった。 間もなく利世は胸の病を患い、文化二年(1805年)の19歳の春に喜兵衛の名を呼びながら息を引き取った。 翌年、俵物を仕入れるため宮古を訪れ高島屋に向かうと、「利世は病で実家の樫内村にいる」と告げられた。 喜兵衛は、慌てて樫内村へと馬を走らせた。 馬が一本の桜の木の傍らを通り過ぎようとしたとき、急にその足を止め、一歩も動かなくなってしまった。 喜兵衛は傍らの農家にいた老婆に事の次第を話すと、老婆は「利世は私の娘、墓はここに」と桜の下を指差した。 それから誰言う事なく、馬をつなぎとめた桜という意味で、「駒止桜」と呼ぶようになったのである。

撮影後記

 東日本大震災の大津波で、日本一の防潮堤があったにも関わらず、無残にも町全体が津波に呑みこまれてしまった田老町の名桜です。 目も覆いたくなるような悲惨な惨状で、地元民に桜のことなんか尋ねるのも気が引け、探すのに苦労しましたよ、この桜。 田老第一中学校の自衛隊基地にいた方によれば、なかなか満開の姿を見れない「幻の桜」なんだそうです。 確かに、場所も分かりずらく、花見にやってくる人なんかいるのでしょうかと思えるほど、薄暗い山林にひっそりと立っていました。

 おりせ可愛や 駒止桜
   咲いてあなたの 駒止める
     ハアー ヨイトコラサ 駒止める  - 陸中小唄 田老の巻 三番 ♪

更新履歴

2013年9月26日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

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