賀名生皇居跡のしだれ桜

南朝の花筐

三種の神器を北朝に伝えるまで、南朝の行宮として歴史を刻んできた五條市西吉野町の賀名生皇居跡。藁葺屋根の重厚な冠木門前には、樹齢100年の一本のシダレザクラが咲き、まるで南朝方の花筐のようである。

賀名生皇居跡のしだれ桜

賀名生皇居跡のしだれ桜について

基本情報

名称
賀名生皇居跡のしだれ桜(あのうこうきょあとのしだれざくら)
別称
堀家住宅のしだれ桜、賀名生行宮跡のしだれ桜
樹種
江戸彼岸の枝垂桜
樹齢
推定100年 - 堀家の話。
見頃
例年3月下旬頃
夜桜
ライトアップなし
駐車場
無料駐車場あり
所在地
奈良県五條市西吉野町賀名生(標高160m)

概要

延元元年(1336年)足利尊氏によって京の都を追われた後醍醐天皇は、吉野へと向かう途中に賀名生(当時は穴生)に立ち寄られた。 正平3年(1348年)後村上天皇の吉野行宮が、高師直率いる室町幕府軍に襲われ、賀名生に逃れて賀名生行宮と定めた。 その後、長慶天皇、後亀山天皇の行宮として、三種の神器を北朝の後小松天皇に伝える元中9年(1392年)まで南朝の皇居として歴史を刻んできた。 後醍醐天皇を手厚くもてなした郷士の堀孫太郎信増の邸宅は、現在「堀家住宅 賀名生皇居跡」として国の重要文化財に指定されている。 藁葺屋根の重厚な冠木門前には、推定樹齢100年の一本のシダレザクラが咲き、南朝方の花筐のようである。

撮影後記

 賀名生の里にある南北朝時代の南朝方の皇居跡と伝わる堀家住宅。 付近には終焉の地となった北畠親房の墓もあります。 またこの時期は、賀名生梅林のウメも見逃せません。
 鎌倉在住で京都や奈良を主だった撮影対象としてい東奔西走している自分としては、太平記の重厚な話がシンクロして大好きです。 昨今の大河ドラマは戦国か幕末ばかり。 太平記の時代を、もう一度取り上げてもらいたいものです。

更新履歴

2018年6月26日
初版をアップロードしました。

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