岩瀬

岩瀬与一太郎

鎌倉時代、当地を治めていた岩瀬与一太郎が地名の由来といわれる。岩瀬与一太郎は常陸国佐竹氏家臣の出で、佐竹征伐の折に捕らえらたが、その勇気に感服した源頼朝に許され御家人となり、岩瀬に屋敷を構えたという。

岩瀬

岩瀬について

基本情報

名称
岩瀬(いわせ)
交通機関
JR大船駅からバス利用、JR本郷台駅からバス利用
所在地
神奈川県鎌倉市岩瀬

概要

鎌倉市の北部に位置し、東部は砂押川流域をはさんで丘陵に囲まれた谷地で、西部は平坦な地形で住宅地や学校、工場が立地している。 鎌倉時代、常陸国佐竹氏家臣の出で岩瀬を治めていた岩瀬与一太郎が、地名の由来といわれる。 岩瀬与一太郎は、佐竹征伐の折に捕らえらたが、その勇気に感服した源頼朝に許され御家人となり、岩瀬に屋敷を構えたという。 初見は仁治元年(1240年)に北条泰時が発給した文書に見られ、中世山内荘の一部であったと考えられる。 岩瀬与一太郎が創建した五社稲荷神社、徳川家ゆかりの大長寺などが建っている。

見所

観光名所
稲荷神社(五社稲荷神社) - 岩瀬の鎮守。保食神、大己貴神、太田神、倉稲魂神、大宮姫神の五柱を主祭神とする。建久年間(1190年~1199年)常陸国佐竹氏家臣の出で岩瀬を治めていた岩瀬与一太郎が創建した。現在の社殿は天明の大飢饉を乗り切るために天明二年(1782年)に再建されたものである。
大長寺 - 玉縄城主だった北条綱成によって、1548年に建てられた浄土宗寺院。四世の源栄は、徳川家康とも親交があり、家康も当寺にしばしば立ち寄り、家康が近くを通った際には、藤沢まで会いに行くなど交流が続いた。
西念寺 - 浄土宗寺院。1534年、開山の運誉が、裏山の「開山修行窟」に籠りながら念仏の布教活動に励み創建したと伝わる。本堂には、日本橋木屋の大旦那が自分の姿を作らせた「首抜け木像」が安置されている。
木舟大明神 - その昔、貴舟大明神という屋号の家があり、現在は貴舟と大明神に分かれ、その二軒の家の間の山中に祠がある。岩瀬与一太郎を祀ったといわれている。
岩瀬下関防災公園 - 平成27年5月に開園した公園で、平時にはこども公園となっている。大正時代の食用蛙(ウシガエル)の養殖場であった鎌倉食用蛙養殖場が前身で、餌としてアメリカザリガニが輸入され、逃亡した固体が全国に広がっていった。

歴史

1190~1199年
建久年間、稲荷神社が創建された。
鎌倉時代後期
岩瀬郷は山内新阿弥陀堂(横浜市本郷の証菩提寺)の料所であった。
1351年
岩瀬郷は足利尊氏によって播磨国の島津忠兼に与えられた。
室町~戦国時代
小田原北条氏の支配下となり、明月院の所領だった。
1534年
西念寺が創建された。
1548年
大長寺が創建された。
江戸時代
初め江戸幕府の天領で、その後に直轄領と旗本知行地や大長寺との相給となっていた。
明治22年
岩瀬村が小坂村の大字となった。
大正9年
鎌倉食用蛙養殖場が作られた。
昭和8年
小坂村が大船町へ改称した。
昭和21年
京浜女子家政理学専門学校(鎌倉女子大学中等部・高等部の前身)が岩瀬に移転した。
昭和23年
大船町が鎌倉市へ編入された。
昭和43年
住居表示変更で岩瀬1丁目の住居表示が実施された。

撮影後記

 今年から防災公園にリニューアルした西念寺近くにある「いわせ下関こども広場」は、その昔は鎌倉食用蛙養殖場で、ウシガエルの餌用としてアメリカザリガニを日本にはじめて輸入して与えていたそうです。 しかし、昭和13年の豪雨で、ウシガエルとアメリカザリガニが逃げ出し、それが日本全国に広がったそうです。 すべての個体がこの養殖場を起源とするわけではないにしろ、この普通な公園が、子供時分よく学校の帰り道にとんましたザンキー(意味がわかる人は多分同じ地元、地方によってザリガニはいろいろな呼び方があるそう)伝播の源とは、そっちの方がビックリです。 最近、アメリカザリガニめっきり見なくなりましたね。

更新履歴

2015年10月17日
初版をアップロードしました。

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